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絵画と音楽の部屋へようこそ

< 目 次 >

プレリュード Book1

1.<デルフィの舞姫たち> 色相環と音階

7.<西風の見たもの>フォルムとメロディー

2.<帆> 色の種類と音の種類

8.<亜麻色の髪の乙女>色彩の調和と和声

3.<野を渡る風> 画色と楽音

9.<途絶えたセレナード>

4.<音と香りは夕暮れの大気に漂う> 色の要素と音の要素

10.<沈める寺>

5.<アナカプリの丘> 絵画と音楽の要素 

11.<パックの踊り>

6.<雪の上の足跡> 構図とリズム 

12.<ミンストレル>


1. <デルフィの舞姫たち> 色相環と音階

 色相環と音階が12と言う数をキーワードとして何か関連があるのではないか。と言うことにフト気がついたのは去年(1999年)の10月始めごろのことです。

 これでは何を言っているのか良く分かりませんので、第一回目ということもあり、色相環と音階について簡単に触れておきたいと思います。

< 色 相 環 >

 色彩の三原色はもうすでにご存じのことと思います。そうです。赤、黄、青の3色です。赤、青、緑と言う人が居るかも知れません。それは光の三原色です。ここでひとつ約束ですが、このコーナーでは絵画について考えていきますので、これから三原色と言ったら色彩の三原色と言うことにしておきます。

 それでは赤を頂点にして右下に黄、そして左下に青の正三角形を思い浮かべてください。紙にでも書いてみたほうが分かり易いかもしれません。赤と黄を混ぜ合わせると橙、黄と青を混ぜ合わせると緑、青と赤と混ぜ合わせると紫が生まれます。これを二次色と呼びます。三原色のそれぞれの間に新しく生まれた色を置いてみましょう。3原色だけでは色相環と呼ぶには余りにも色数が少なすぎたのですが、6色になれば、何とかそれらしく見えてきました。更に三原色と新しく生まれた色を隣り同志混ぜ合わせると、更に6色の新しい色が生まれます。これを三次色と呼びます。それぞれを更にその環の中に並べます。きれいに12色の環が出来ました。このように作られたものを色相環と呼びます。更に24色相環・・・・・。と作ることが可能です。

< 音 階 >

 音階と一言で言っても民族によったり、地域によったり様々な音階がこの世界には溢れています。日本だけ捉えてみても、呂旋法、律旋法、陽旋法、陰旋法、沖縄旋法などがあり、西洋音階だけが音階ではありません。その西洋音階も現在の長音階と、短音階に集約されるまでは、様々な旋法があったのです。詳しくはまた改めてお話ししたいと思います。

 皆さんドレミファソラシドと言う音階はもちろんご存じのことと思います。ピアノの鍵盤を思い浮かべてください。現在の西洋音階ではド〜ドまでの1オクターブのなかには白鍵、黒鍵合わせて12の鍵盤が有ります。つまり1オクターブは12の半音によって構成されている。と言うことが出来ます。これを12半音階と呼びます。(ここでは一般的な12平均律に基づいてお話しを進めています。その他には純正律、ピュタゴラス音律などが有りますが、詳しくは別の機会に譲ります。)

 皆さんももう気づかれたと思いますが、12の色の環、そして12の音の列、何か符合するような気がしないでしょうか。

 今日のところはこれぐらいにして、また皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

 ※ご意見ご感想は是非とも掲示板まで。

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2. <帆> 色の種類 と 音の種類

 色は視覚で感じられるもので、反射光による刺激と、透過光によるものとが有ります。ここでは絵画についてのお話しですから、反射光による色彩に限定してお話しします。ヒトの視覚で感じる波長(可視光線)は380nm〜780nmでそれ以外は赤外線、紫外線と呼ばれヒトの目では感じることが出来ません。

 音は聴覚で感じられるもので、ヒトの聴覚ではだいたい16Hz〜20,000Hzの範囲が聞き取れる範囲です。それ以上は超音波と呼ばれています。

<色 の 種 類>

 色には純色と純色でない色と無彩色があります。絵画は主に純色でない色(画色と定義)によって制作されます。

 1、純 色:前回のお話しにでてきた色相環上の色の事をさし、それ以上純度(彩度)を高めることの出来ない色の事を言います。飽和色ということもあります。・・・・(音で言う純音に相当します。)

 2、純色でない色:色相環で純色より内側にある色のことを言います。これを環内色と呼ぶことにし、画色と定義することとします。この色は補色を混ぜ合わせることによって作られます。音で言う倍音が補色に相当し、補色はとは色相環でちょうど向かい合う色のことで、バランスよく混ぜ合わせると色味がなくなって灰色(無彩色)になってしまいます。例えば赤と緑、黄と紫、青と橙の組み合わせです。・・・・(音で言う楽音に相当します。)

 3、無彩色:これを色と呼んでよいものかどうか分かりませんが、白から灰色を経由し黒までの色味のない色のことを言います。色味のない色なんて少し変ですよね。・・・・(音で言う噪音に相当します。)

<音 の 種 類>

 音には純音と楽音と噪音があります。音楽は主に楽音によって奏でられます。

 1、純 音:単純音、単音とも呼ばれ、音叉を柔らかいハンマーで静かに叩いたときの音や時報の音などが近く、単純正弦波の発する音のことを言います。・・・・(色で言う純色に相当します。)

 2、楽 音:周期的な振動から生まれ、一定の高さをたもつヒトの声や楽器の音のことを言います。それは多くの倍音を含み、鳴り始めには一部噪音をも含んでいます。・・・・(色で言う画色に相当します。)

 3、噪 音:不規則な振動から発せられる音で、一定の高さをもたない打楽器の音やぶつかる音、壊れる音、声の子音などがそれに当たります。またフルートを吹く時の息や弦楽器の弓の摩擦音なども噪音です。・・・・(色で言う無彩色に相当します。)

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3. <野を渡る風> 画色と楽音

 一般に絵画は画色で描かれ、音楽は楽音によって奏でられます。しかし一概にそうばかりとは言い切れません。チューブから搾り出された絵の具をそのまま使った絵画や、墨絵のように無彩色で描かれた絵画が無いわけではありません。また音楽において、シンセサイザーの始まりは純音からであったでしょうし、過去においてルッソロ Luigi Russolo(1878-1944)によって始められた騒音芸術は、彼の作った騒音楽器によって演奏された。特殊な例は無いことはありませんが、主に絵画は画色で、音楽は楽音で、と言うことになるのでしょう。

 今回はお話しの都合上、楽音についてから先にお話しいたします。

<楽音について>

 <音の種 類>の項でお話しした通り、楽音は多くの倍音を含み、鳴り始めには一部噪音をも含んでいます。この倍音と噪音が楽器の音色を決定しているのです。音色についてお話しするに当たっては、倍音の話は避けて通れませんので、ここで簡単に触れておきます。管楽器や弦楽器で、ある音を奏でると整数倍の振動数をもつ音が自然に発生します。このようにある音を基音として自然に共鳴、共振によって発生した音を倍音と呼びます。基音の振動数の2倍の振動数の音を2倍音と呼び、基音から1オクターブ高い音になります。つまり基音をドとすれば2、4、8、16倍音は全てド。3、6、12倍音は全てソ。5、10、20倍音はミ。7、14倍音はラ#(近似音)。9、18倍音はレ。・・・・・となっていくのです。

 音を構成する部分音の内、2、3、4、5、6倍音の低次の倍音が強く響く楽器、逆にそれ以上の高次の倍音が強く響く楽器、偶数倍音がよく響く楽器、奇数倍音がよく響く楽器、それぞれの音色はずいぶん異なった響き方をします。ここに音色の秘密が隠されていたのです。倍音は色彩で言う補色に相当すると考えることが出来ます。更に音色決定に重要なのは噪音です。息を吹き出すときの音、弦楽器で弓を引き出すときの音、ピアノでハンマーが弦を叩いた瞬間の音、そのような噪音とその楽器特有の倍音列が組み合わさって始めて、その楽器特有の音色を私達は認識しているのです。

 ある実験において、9種類の楽器の鳴り始めと鳴り終りを切り取ってしまったテープを用い、専門音楽家に40回にも渡って聞かせたところ、誰一人として正確に答える事が出来なかったそうです。この実験から、いかに楽音と言えど、噪音なくしてはその音色を語ることは出来ません。

 つまり楽音(音色)は基音、倍音、噪音、この三要素によって説明することが出来ます。

<画色について>

 <色の種類>の項でお話しした通り、画色は色相環の内側の色と定義いたしました。この色には補色と無彩色(主にホワイト)が含まれ、彩度と明度がコントロールされています。基本色に補色を混色することによって彩度はどんどん減衰していきます。つまり鈍い色調になっていきます。しかしそれは濁って汚くなっていくと言うものではなく、色味の深さが増していくと考えるべきだと思います。つまり音で言う、基音に対してその楽器特有の倍音列が加わったのと同じことが言えるのです。しかし補色を混色すると、彩度が落ちるのと同時に明度までも減衰していってしまい、色味の判断が出来なくなっていってしまいます。ここで登場するのが、音の噪音に相当する無彩色のホワイトです。ホワイトを混ぜ合わせることで、そこにはまた生き生きとした色味が復活してくるのです。

 色相環上にある高純度飽和色でも緑から赤紫までの色相に関しては、絵の具のチューブから出しただけでは、ほとんど黒と見分けが付かないほど暗く沈んでいます。ところが無彩色であるホワイトを混ぜ合わせることでにわかに色味が出現して来ます。赤から黄緑までの色相は、黄色という非常に明度の高い色相を加えることによって派生する色相のため、ホワイトを混ぜ合わせると逆に色味が失せていき、生気が無くなっていってしまいます。これは暗清色にも言えることで、中間明度を越えた段階から色味が失せていき、生気が無くなっていってしまいます。

 つまり画色は基本色、補色、無彩色、この三要素によって説明することが出来ます。(透明技法ではこの限りではありません。所を変えてお話ししたいと思います。)

 また色彩には音にはない同化作用、または同化現象というものがありますが、また所を変えてお話ししたいと思います。

 画色と楽音言い換えれば色彩と音色。やはり楽器の奏でる音は色だったのです。

   基本色に対する基音。

   補色(基本色に対し異なった波長の色)に対する倍音(基音に対し異なった波長の音)。

   無彩色(あらゆる波長の光を反射する)に対する噪音(あらゆる波長の音を含んでいる)。

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4.<音と香りは夕暮れの大気に漂う> 色の要素と音の要素

 この項目についてはもっと早く触れなければならなかったのですが、まず12色相環が12半音階に符合するのではないかと言うことからスタートしましたので、お話しが少し前後してしまいました。ここではそれぞれの要素のお話しと、その要素がお互いにどう対応するのかという事を考えていきたいと思います。

<色の要素>

 色の要素は色彩学的には1.色相、2.彩度、3.明度の3つですが、私はもうひとつここに絵画的観点から、面積という要素を追加したいと思います。

 1、色 相:赤、橙、黄、緑、青、紫など色みのことを色相と言います。これを輪にしたものを色相環と言います。色相環については既にBook1-1でお話しした通りです。・・・・(音では音色に相当します。)

 2、彩 度:色みの強さの度合いのことを彩度と言います。色みの強い場合を彩度が高いと言い、逆に色み画弱い場合を彩度が低いと言います。色みの飽和度が最も高い色を純色又は飽和色と呼び、色相環上に配置されます。先にお話しした通り、補色(色相環で向かい合った色)を混ぜた場合と、無彩色を混ぜた場合に彩度は低くなっていきます。彩度の高いあざやかな色彩は手前に、彩度の低い鈍い色彩は奥に引いて感じます。・・・・(音では強弱に相当します。)

 3、明 度:色の明るさの度合いを明度と呼びます。光の反射率の度合いとも言い換えることが出来ます。反射率が高いほど明度は高く、無彩色では白が最も多くの光を反射します。反射率が低いほど明度は低くく、無彩色では黒が最も多くの光を吸収します。・・・・(音では高低に相当します。)

 4、面 積:物理学的、光学的に色を捉えた場合には面積という概念は現れません。しかし絵画という視覚芸術においては、色の持つ面積が非常に大きな要素になってきます。絵画が絵画として存在するためにはどうしても必要な要素です。色面の比率によって絵画の持つイメージは随分変わりその性格を決定します。・・・・(音では長短に相当します。)

<音の要素>

 音の要素は1.音色。2.強弱。3.高低。です。

1、音 色:多くは振動の波形によって決まります。その振動波形は基音に体する倍音の含み方で決定されます。また音色は発音体の材料、構造、発音の方法によっても異なります。前節で詳しくお話しした通りです。・・・・(色では色相に相当します。)

2、強 弱:音の強弱は振動の幅、振幅によって決定します。振幅が大きいほど音は強く、小さいほど弱い。強い音は近くに、弱い音は遠くに感じます。・・・・(色では彩度に相当します。)

3、高 低:速い振動、つまり単位時間において振動数が多いほど高い音、遅い振動、つまり振動数が少ないほど低い音になります。管や弦の長さが短いほど高く、長いほど低い音がでます。また細いものは高く、太いほど低い音がでます。これらは単位時間での振動数によるものです。・・・・(色では明度に相当します。)

4、長 短:音の長短は振動している時間の長さで決まります。音楽では速度記号と関連しながら、種々の音譜の長さによって決まり、旋律は音の長短によって決定されます。・・・・(色では面積に相当します。)

 ここまで絵画において最も重要な要素のひとつである色彩と、音楽にとって無くてはならない存在である音について比較考察してまいりました。それぞれの各要素の間には非常に似通った関係があると、私は考えております。

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5. <アナカプリの丘> 絵画と音楽の要素

 絵画が絵画として存在するために必要な要素としては、次の3つが考えられます。それは1.構図(構造線、画面構成)2.フォルム(ものや色面の形、形態感、立体感)3.色彩です。

 それらはそれぞれ音楽の三要素1.リズム(律動)2.メロディー(旋律)3.ハーモニー(和声)に相当すると考えております。それぞれの芸術の中で最も重要な要素が構図でありリズムだと思います。

 リズムだけの音楽というものは考えることが出来ますし、また存在もします。例えば和太鼓のみによる演奏は日本の各地にありますし、ジャズの世界ではドラムソロなんて言うのもあります。メロディーはリズムの上にのることで初めてメロディーとして認識できるわけで、音の高さだけ規定され、その長さとアクセントの規定のない音列はメロディーとして認識されよう筈もありません。その上にハーモニーを重ねることで、音楽の幅や奥行きの深さが表現できるのだと思います。ですからリズムのない音楽というものは考えられません。リズムを語るのには非常に似通った概念の言葉について考えなければならないのですが、それは次の章に譲ります。

 リズムのない音楽というものが考えられないのと同様に、構図のない絵画というものは考えられません。画面に1本の線を引いただけでもそこには構図という概念が発生します。現代芸術においての絵画は様々な実験がされ、その支持体(キャンバス、パネル等)の形は必ずしも矩形とは限りませんが、一般的にその矩形の各辺と新たに引かれた線との関係の中で、構図という概念が発生してしまいます。たとえ支持体の形が矩形でなかったとしても、それは同じです。構図という概念に基づいてモティーフが構成、配置される事によって絵画は成立していくのです。フォルム(ものや色面の形)を平面に定着させるには、構図という概念なくしては不可能なことです。そこに色彩を計画することによって絵画の持つ性格というものが決定されていくのです。

 かつての西洋の音楽は調性との戦いでした。調性の中に、調和の中に音楽の美しさを見いだそうとしてきたのです。絵画においても同じことが言えます。しかし調性とか、調和とか、協和とか言う概念、感覚はその時代と地域によって変化していってしまい、絶対的なものではありません。「調性との戦い」という言葉には、今まで培われてきた調性を打ち壊して新たなる芸術を創造する。という意味合いも含まれています。音楽であれ、絵画であれ、今後どのような芸術的展開を見せるのか、それぞれの作家のオリジナリティーに負うところです。

次回は、それぞれの要素についてもう少し詳しく考えてみたいと思います。

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6. <雪の上の足跡> 構図とリズム

 ここでは、絵画にとって最も重要な要素である構図と、また音楽にとって最も重要な要素であるリズムに関して考察を深めたいと思います。これまではそれぞれの芸術の素材である、色と音に関して随分考察いたしました。その素材をいかに構成、構築するかが、それぞれの芸術の最重要課題です。それらの屋台骨を形成してゆくのが絵画においては構図であり、音楽においてはリズムなのです。

<構図について>

 ここによく似た言葉があります。それは構図、構成、構造です。文章の中で使うとすれば、「三角形の構図をF100号の構造線に基づいて構成する。」こんな使い方になるのでしょうか。つまり、構図は構図単体として画面上に取り扱われるのではないということです。構図には様々なパターンがありそのパターンについての書物はたくさん出版されていますので、そちらを参考にして欲しいと思います。ここではそれらの構図を構造線にのせ構成させることがなぜ重要なのかを考えてみたいと思います。小品に関しては、そんな構造線や構成を度外視した形で描き進めていっても、特に強度面(画面上の緊張感)において破綻をきたすことはまずありません。しかし作品が大きくなればなるほど、構成、構図についての認識が重要になります。脆弱な骨格では大作画面の緊張感を維持することがとても難しいのです。たとえ話をすれば、マッチ箱(最近はトンとお目に掛かることが少なくなりました。)は厚紙を折って接着剤で貼り付けるだけで、それとして存在することが出来ます。しかし大きなビルやマンションはそんな訳にはいきません。しっかり構造計算をして材料の強度を考慮した上で建造されて初めてそこに存在できるのです。まさに絵画においても同じことが言えるのです。

 構図、構成において最も大切な形は正方形です。正方形はとても安定した美しい形です。小さな子供に「四角を描いてごらん。」と言ったとき果して彼らは一生懸命に正方形に近い形を描こうとするでしょう。台形がひん曲がったような四角形を敢て描こうとはしません。正方形は四角形の中でも条件的に最も厳しく規制された形状です。しかしその規制があるからこそ神秘的な美しさがそこに存在しているのだと思います。黄金矩形、√2矩形、√3矩形、√5矩形などの矩形は全て正方形から派生した形です。黄金矩形は名刺の形に、√2矩形はノートや本の形に採用されています。黄金矩形はその中に短軸を1辺とする正方形と更なる黄金矩形を内包し、√2矩形は短軸で二分割すると面積がちょうど半分になる√2矩形が二つ出来ます。このように正方形から派生した形は、視覚的な美しさと共に幾何学的、数学的美しさをも同時に持ち合わせているのです。

 ですから構図を取るときには、それぞれの視覚的、数学的な美しさを内包した構造線に基づいて構成することが重要です。その結果として緊張感溢れる画面が構築されるのです。感覚や感性に頼っても素敵な作品ができるかも知れません。しかしそれを知っていて感性に委ねるのと、知らずに委ねるのとは大きな差が生まれてしまうと思います。その具体的な方法などは、所を移してお話ししたいと思います。

<リズムについて>

 リズムは音楽の最も根源的な要素で、それは音の時間的進行の構造を形成し、日本語では律動(あまり耳にはしませんね!)と訳されます。またそれらは時代や民族によって違いがみられ、一定の時間量を規則的に下位分割する拍節リズム、異なる拍子を組み合わせてより大きな構造を作る付加リズム、音の長さに単位のない自由リズムなどに分類されます。(学者によって分類は様々で、ここではその一例にとどめます。)その中でも自由リズムこそがより根源的に生命に直接かかわっているのかも知れません。ヒトの一生や、毎日の生活を捉えてみても、常に一定というわけではありませんから。

 前回お約束したように、ここでリズムに対して非常に似通った概念の言葉についてお話しします。しかしそれらは全てリズムのなかに包括されてしまいます。

 拍(ビート):音楽的時間を区分する単位を拍(ビート)と言います。拍は現実に音として鳴り響いているいないに関わらず、常に音楽の基底に存在しています。休止状態(休止符によって音が発せられていない状態)でも拍は刻まれ続けており、次への新たなる展開のために待機しているのです。

 テンポ:元来時間を意味し、基本的な拍の速度をテンポと言います。作曲家の記入したテンポは絶対的なものではなく、演奏家の解釈等々に因って変化します。しかしそれによって作品のリズム構造までが変化することはありません。

 テンポ・ルバート:盗まれた速度、の意味。表現される感情の起伏に応じて、楽曲の速度を自由に加減して演奏することをテンポ・ルバートと言います。ルバートもまた作品のリズム組織を変えることは出来ません。テンポや強弱に加え、指揮者や演奏家にとっての個性の発揮所かも知れません。

 アクセント: 小節の中で、特に強く拍を打つ部分。強調される音。音楽は強弱を持たない一様な拍の上に築かれるのでは有りません。ヒトは性として常に法則性みたいなものを求めているのでしょう。作曲家や演奏家が求めると求めざるとにかかわらず聞き手は楽曲のなかに規則性を求めてしまうものなのかも知れません。ここらまでお話しが進んできますと、何だか絵画における構図や構成に規則性、法則性をついつい求めてしまう人間(私?)の性みたいなものと、同じ感覚なのではないかと考えてしまいます。数学者や物理学者もひょっとして同じ穴の狢(ムジナ)なのかも知れません。

 拍子:(=リズムと思い違いをされ安い。)音楽(主に西洋音楽)で、一小節内の拍数を表す単位で、生の根源に結び付くリズムに対して自由を制約する人工的な概念的原理であり、時間秩序です。この原理はヨーロッパの芸術音楽、ポピュラー音楽の大部分を支配しているためにリズムそのものであるかのように考えられてしまいがちです。しかし先にお話ししたようにヒトはついつい自然主義的なもののなかに規則性、法則性を求めてしまい、拍子=リズムと言う概念が横行してしまったと考えることが出来ます。つまり拍子は人工的なリズムと言う事ができるのかも知れません。絵画の世界においては、モンドリアンの抽象や、ミニマミズムの運動やバウハウスでの実験などのように、余分を廃し、エキスを抽出しようとした芸術家もたくさんいました。つまり省略や排除することによって規則性、法則性を発見しようとしたのです。それらは近年の科学技術の発展と共に推移していったのだとも考えられます。絵画においては印象派以来、自然主義を廃して独自の造形理論や絵画理論のために制作する作家が多くでました。私の絵の作風(自然主義的な作風ではない。)からすれば、リズムに関しての自然主義的な自由リズムを肯定するのは少々おかしな感じもします。しかし絵画と音楽とではその芸術の成り立ちや存在の仕方が異なるためにさして不自然なことでもありません。詳しくは所を変えてお話ししたいと思います。ここらでお話しを本題に戻したいと思います。

 拍子もいくつかに分類されます。2拍子、3拍子、4拍子は単純拍子と呼ばれ、これらを基に派生する複合拍子や混合拍子の基本となります。複合拍子は単純拍子の各拍がそれぞれ分割されたもので、3分割された6拍子、9拍子、12拍子などが多く使われます。混合拍子は2つ以上の単純拍子の結合によって生まれるもので、5(3+2、2+3)拍子、7(4+3、3+4、2+2+3、2+3+2、3+2+2)拍子、その他9拍子、10拍子、11拍子などさまざまの単純拍子の組合わせによる混合拍子が考えられます。ジャズの名曲のテイクファイヴは3+2の5拍子です。(関係有りませんが筆者の携帯電話の着メロがそれだそうです。)

 リズムは音楽の骨格を決定し、拍子は音楽の輪郭を決定していきます。まさにそれらは絵画においての構図、構成に相当し、また楽曲のデッサンや構造にまでも影響を及ぼします。そしてそれは音楽にとってはその性格を決定する最も重要な要素なのです。

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7. <西風の見たもの> フォルムとメロディー

 絵画におけるフォルム(形態)は、音楽におけるメロディー(旋律)であると私は考えております。フォルムは構図の上で、メロディーはリズムの上で展開することで初めて生き生きとした表現が可能となります。ここではそのフォルムとメロディーについて考えてみることに致します。

 メロディーはギリシャ語の詩を歌うことを意味するメローディアに由来するそうで、言葉との関連の中で発生したものです。ですからメロディーの母は言葉であるということが出来ます。つまりその発祥の根本は話し言葉がリズムに載ったものだったのす。しかしそのメロディーも楽器の発達とともに変化していったようです。そしてそれは歌うことを中心とした音楽から、演奏することを中心とした音楽への変遷でもあります。

 メロディーを大きく2つに分類すると、声楽(ボーカル)旋律と器楽(インスツルメント)旋律に分けられます。絵画においてもフォルムは具象フォルムと、抽象フォルムに分類することが出きると思います。

 声楽旋律は絵画における具象フォルムと考えることが出来ます。声楽旋律は当然ヒトが歌うことを前提にしてますので比較的狭い音域内に限定され、頻繁な音程の跳躍を含みません。そして常に言語との結び付きを持ち、それはその支配下に置かれています。クラシック音楽に限らず、肉声で歌うことを前提とした楽曲は常に言葉に支配され、旋律としても非常に理解しやすい形で聴衆に訴えかけます。昨今私達が普段テレビやラジオで耳にする楽曲はほとんどが声楽旋律といってよく、メロディーも比較的滑らかなうえ、さらに歌詞までついていて非常に具体的ということができます。これは絵画の場合の具象絵画におけるフォルムと同じといえるかも知れません。具象絵画ではモティーフの形態感イコールひとの記憶みたいな所があります。私達は生まれて直ぐの記憶はありませんが、その後の学習によって、それぞれの事物や事象を認識していきます。言語も学習によって修得されます。つまりいずれも学習によってのみその存在が認識されるということです。

 具象絵画しか認めない、理解できない。また声楽旋律しか受け付けないというのは、今まで食べたことのある母親に与えられたものしか食べたくないという、食べず嫌いと同じことなのです。もっと幅広く何でも美味しく食べられたら人生何倍も幸せだと思います。好き嫌いなく何でも美味しく食べられるという事は食べられないヒトの何倍も人生が楽しいことだと思います。まず試してみることが大切なのかも知れません。みなさん食べず嫌いをなくしましょう。人間の脳ってとっても不思議で、これは身体に良いとか、健康に良いとか聞くと今まで食べたことのないものでもけっこう食べられるようになっちゃいますよね!そこが人間のソフトライクな良いところで、他の生物のシーケンス的生態系とは異なったところです。

 器楽旋律は絵画における抽象フォルムと考えることが出来ます。器楽旋律は、声楽旋律と異なり、ヒトの声帯に頼る必要がありません。ということは作曲者がその音域の限界を越えたところでオリジナリティーを発揮することができるのです。ある楽器の音域を越えてしまったら他の楽器に置き換えてメロディーを繋ぎ止めることも出来ますし、管楽器(単音しかだせない。)、弦楽器(弓で同時に2弦弾くことで、ひょっとして3弦まではいけるかも知れない。)など基本的に単音しか出せない楽器を複合させることで和声的展開も可能になります。特に鍵盤楽器にいたっては、それらの全てを一台の楽器で賄(マカナ)ってしまうことが可能です。という事は、楽器の発達によって、作曲家の自由度は益々拡大し、自己のイメージをどんどん追及していくことが可能になったのです。そしてその結果として声楽旋律から少しづつ距離を置くようになり、その抽象性を更に増大することになっていきました。

 絵画においては、印象派以降、セザンヌ以降自然主義から脱皮してコンセプチャルアートを目指す作家が多く出て、絵画界も同じように自由度が拡大いたしました。それぞれの芸術において自由度の拡大はそのまま抽象性の追及につながっていきます。またそれらは科学技術の発展にも大きく影響されております。絵画においては写真術の発達がとても大きくその芸術世界に影響したようです。写真術は自然主義的絵画の存在を否定し始めたのです。良くも悪くも写真はその瞬間を忠実に切り取ります。絵画に与えられたひとつの使命がここで終りを告げることになったのです。しかし絵画の存在はそれだけに留まるものではありません。非現実性、抽象性、内面性を求め、新たなる芸術性を追及するというベクトルの模索が始まったのです。

 また、絵画表現はもともと三次元に存在するものを平面(二次元)に描写するという極めて技術的性格の強い芸術世界であったのに対して、音楽表現は言葉、意志、感情といった人間の内面からの叫びであったのしょう。それは言わばヒトの根源に一番近い芸術なのかも知れません。器楽旋律の発展とともに合理的な記譜法の発明、発達により作曲家はよりオリジナリティーを発揮するために譜面上で色々曲想を練り、展開を考えることが可能になりました。記譜法が発達する前は複雑な曲を伝えることが大変むづかしかったのでしょう。現在でもバロック以前の音楽に関しては即興的なアレンジが認められていますし、そのころは演奏家に対しかなり寛大であったようです。そして現代のように演奏家自身の技量もあまり高くなかったのかも知れません。

 いずれにしても自由度を増した音楽は抽象性を益々強くしていったのです。もともと言葉から発生した音楽ですから絵画と同じように始めは非常に具象性が高かったのだと思います。それがさまざまの要因により、抽象化していったのです。私は元来音楽というものは、抽象的なものだと考えておりましたが、それは誤りでした。

 論理的な研究はしてませんが、音楽好きな私は絵を再び描き始めた(ブランク十年)頃からずっと漠然とではありますが絵画と音楽との繋がりについて考え続けてきました。言葉は音楽の発生の根源です。そして文字の発生は絵画からです。文字には表意文字と表音文字とがあります。表音文字である日本の平仮名やカタカナは、中国からの輸入品である表意文字の漢字から創造されました。現代中国においても漢字の簡略化が進み、表音化しつつあるように感じます。どうもヒトは、抽象化、法則化、記号化するのが好きなようです。

 次回は色彩の調和とハーモニー(和声)について考えてみたいと思います。

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8. <亜麻色の髪の乙女> 色彩の調和と和声

 絵画における色彩調和は、音楽における和声と考えることが出来ます。絵画は色彩調和によってモティーフ(動機)が脚色され、画家の感動を伝えます。音楽においてはそのハーモニーによってメロディー(モティーフ)が脚色され、聞く者を感動の世界に誘います。いずれにしろそれらは芸術に奥行きと幅を持たせるために、非常に重要な要素なのです。

 それぞれを物理的に捉えた場合はどうでしょうか。音の和声に関しては非常に論理的で考察しよいことは、今までのお話しにあるような、共振とか共鳴、倍音列を例に出すまでもなく、既におわかりだと思います。しかし色彩に関しては非常に微妙でナイーブです。それは色彩そのものが純色と言えど、スペクトルの単一波長によってのみ発せられるものではない、ということです。論理上は考えられるのでしょうが、単色光と言われるものはほとんど作りだすことが出来ないそうです。物理学者でもない私はこれ以上の深入りは出来ないので、ここから先は物理学者に譲りたいと思います。つまり三原色と言えど、単色光を反射しているのではないということです。まして二次色、三次色は音楽で言うなら和音の様に、それぞれの波長が複合されたものを橙色や緑色に感じられるわけですから、音の波長理論をそのまま色彩に当てはめることは出来ないのです。色彩、それはイメージ的にはひとつの音でありながら実際は和音として捉えたほうが賢明かもしれません。この色彩認知のシステムを解明するには、ヒトの感覚器官の発生や発達の根源に迫る必要がありそうです。

 さて、ここでかのルノアールの言葉を取り上げたいと思います。「最も美しい色のアルモニイは、最も弱い色の、最も強いコントラストによる。」これを言い換えると次ぎのようになるのだと思います。「低彩度、補色対比が美しい色彩調和を生む。」これはマリーローランサンや坂本繁二郎の作品に見る色彩調和の方法だと思います。これはあくまでひとつの方法であって、これが全てとは考えてはおりません。しかしこのことを知っているのと知らないのでは作品製作に大きな差が生じるのは歴然です。初心者の方はほとんどの方がそうなのですが、絵の具チューブから搾り出した色に頼り切って制作してしまいます。絵の具というのは、作家が自由に混色して様々な色彩が作りだせるように、絵の具メーカーは常に彩度の高い絵の具を作り続けるのです。彩度を低くすることは補色を混ぜ合わせたり、ホワイトなど無彩色を混ぜたりすることで可能ですが、彩度を高めることは出来ません。補色同志を隣り合って対比させる場合は特に彩度に関して慎重になる必要があります。どうしても彩度の高い補色同志を隣り合わせに対比させたい場合は、その間に白や黒といった無彩色を置くことです。ギラギラ感がスーッと引いていき、そこには美しい補色対比が生まれます。しかしこの方法は主に抽象的表現の場合に有効です。自然主義絵画の場合はやはり彩度をコントロールして対比させることで、空間表現したほうがしっくり来ることでしょう。

 ちょっと余談ですが、色使いが上手くいかない人は一度パステル画にチャレンジしてみてください。案外すてきな作品が出来るかもしれません。パステルはその材料の性質上、絵の具ほどの彩度を持っておりません。ソフトパステルなんかで柔らかい雰囲気の作品作りって言うのもいいですよ。次ぎに絵の具でその色が出せるように混色を試してみてもいいかも知れません。

 ここで音楽についても少し触れておきます。かつての西洋音楽においてのポリフォニー楽曲(イメージとしては輪唱に近い。カエルのうたが・・・・とか、静かな湖畔の森の....。みたいな....。)はメロディーラインの積み重ねで構成され、そこに生まれた和声はあくまで結果としてのものでした。和声というはっきりとした概念はバロック、古典派以降に於て始めて導入されたもののようです。それそれ以降、音楽は線だけによる構成から、線と面による構成に進化していったのです。その段階でそれまで演奏者に任されていた伴奏も作曲家が規定していくことになっていきました。前節では、バロック以前の音楽に関しては即興的なアレンジが認められていますし、そのころは演奏家に対しかなり寛大であった。と書きましたがそうではなく、曲想に和声という概念がなかった為だったのかも知れません。和声の展開は主和音、属和音、下属和音の3つが基本となって構成されます。ここでは詳しく触れませんが、それぞれの和音にはそれぞれの性格があって曲の流れのなかでとても重要な働きをしています。

 音楽にとってはメロディーラインを面でサポートするものが和声であり、絵画においてはフォルムを面でサポートするものが色彩なのです。

 色相環に音名を当てはめて、12音階的(半音階)的色相環や、五度圏図的色相環を・・・・。また絵画的にどのように基本和音(主和音、属和音、下属和音)を展開させるべきなのか。など、色彩調和、色彩和声に関しては、場所を移してを更に考察していきたいと思います。

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