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中 村 孝 志(なかむら たかし)

1955年1月25日 愛知県生まれ

画家、水彩連盟会員、水彩協会委員

水瓶座、血液型A型

中 村 孝 志 年 譜

1955年 昭和30年

1月25日、中村 巽・キクの長男として愛知県知多郡知多町(後、知多市)に生まれる。

1961年 昭和36年 6歳

4月、知多町立八幡小学校に入学する。

1963年 昭和38年 8歳

色盲事件。担任教諭に絵画作品の色使いから色盲呼ばわりされる。

1964年 昭和39年 9歳

版画家森岡完介と出合う。愛知学芸大学(後、愛知教育大学)美術科新卒にて八幡小学校に赴任、初の教え子となる。

美術クラブ入部(顧問 森岡完介)

8月、森岡完介の個展(名古屋市の桜画廊)を見て感動(カルチャーショック)する。この頃から指で描いたり、原色を盛り上げたり、フォービックな作品を描く。

1965年 昭和40年 10歳

白壁事件。美術クラブのスケッチ会で、寺の白壁に水彩絵の具で落書きをする。後日森岡完介と共にバケツと雑巾持参にて拭き取るが、フレスコ画状態で拭き取り不能、今も残る。

1967年 昭和42年 12歳

児童会の前期に副会長、後期に会長に就任する。

3月、知多町立八幡小学校を卒業する。

4月、知多町立八幡中学校に入学し、水泳部に入部する。

1969年 昭和44年 14歳

校内水泳大会に於て50M背泳で優勝し、校内新記録を樹立する。 

中学水泳知多郡大会に於て100M背泳で第6位に入賞する。 

1970年 昭和45年 15歳

3月、知多市立八幡中学校を卒業する。

4月、愛知県立大府高校に入学する。(選択教科で美術を希望したが、人数の制約から書道に回される。これより25歳までの10年間絵画制作から離れる。)陸上競技部に入部する。(プールはあったが水泳部がなく、担任教諭が陸上部顧問であった為勧誘された。)

知多市民体育大会に於て1500M走に参加し、第3位に入賞する。

1971年 昭和46年 16歳

生徒会の前期に会長、後期に書記に就任する。 

1973年 昭和48年 18歳

3月、愛知県立大府高校を卒業する。

4月、愛知工業大学電気工学科に入学し、フォークソング同好会に入会し河合清彦、佐藤友俊と共に「FOOL YOU」(風流)を結成。

10月、初ステージの同好会定期演奏会、第5回「フォークインザナイト」でオリジナル作品「古都の夏」を発表する。丸岡富隆のバックミュージシャンとしてパーカッションで友情出演する。

1974年 昭和49年 19歳

「FOOL YOU」を脱退し、丸岡富隆と共にフォークデュオグループ「ブルーコーヒー」を結成する。

1975年 昭和50年 20歳

愛知軽音楽連盟「アイティス」を結成し、初代会長に就任する。第1回アイティスラブリーコンサートを開催する。(以降毎年開催)

ヤマハレコーディングコンサート(ポプコン予選を兼ねた)でオリジナル作品「水曜日」、「かもめ」を発表し最優秀賞を受賞する。CBCラジオで「ブルーコーヒー」のギターアンサンブルと歌声が流れる。(司会 CBCアナウンサー日比英一。) 女子大学女子短大をメインに、大学祭、学園祭でのコンサートに参加する。

1976年 昭和51年 21歳

3月、学業成績不振の為留年が決定する。

6月、大学祭にてその後、妻となる山田##子と出会う。

同期生さよならコンサート「ファンタジック・サマーロード・クリエーション」を名古屋市中区役所ホールにて開催する。

1977年 昭和52年 22歳

「ブルーコーヒー千秋楽コンサート」を名古屋市中区役所ホールにて開催する。

卒業研究では、「フーリエ級数信号理論に依るパターン認識」をテーマに日比野研究室で研究を開始する。

1978年 昭和53年 23歳

3月、愛知工業大学電気工学科を卒業する。

4月、高砂電気工業(株)に入社する。技術3課に配属され耐蝕型電磁弁の開発設計に携わる。

1979年 昭和54年 24歳

9月、高砂電気商事(株)に移籍され四日市出張所勤務となり、自動制御機器の販売に携わる。

11月1日、山田##子と結婚する。四日市市笹川の公団住宅に新居を構える。

1980年 昭和55年 25歳

10年ぶりに絵筆を取り風景、静物などを水彩にて描き始める。四日市市「ウノモリ画廊」にて開催の水彩連盟三重支部展にて水彩連盟会員の沢田憲良と出会い、水彩連盟三重支部研修会に参加する。

アクリル絵の具に出会い、長年心のどこかで求めていた画材だと確信する。(以降アクリル絵の具での制作が中心となる。)

$$月$$日 長女$$が生まれる。

1981年 昭和56年 26歳

10月 四日市市美術展覧会に初出品し初入選する。(以降毎年)

1982年 昭和57年 27歳

1月、第36回水彩協会展に初出品し初入選する。(以降毎年)

6月、高砂電気商事(株)四日市出張所所長に就任する。

1983年 昭和58年 28歳

第42回水彩連盟展に初出品するが落選する。

10月、四日市市%%$丁目$$(後、四日市市%%%町$$)にアトリエを新築し転居する。

1984年 昭和59年 29歳

&&月&&日、次女&&が生まれる。

水彩連盟展に出品し初入選する。

1985年 昭和60年 30歳 

水彩連盟展に出品するが2度目の落選となり、辛酸を舐める。

1986年 昭和61年 31歳

水彩協会の会員に推挙される。

第45回記念水彩連盟展に出品し入選する。(以降毎年)

1987年 昭和62年 32歳

恩師森岡完介に再会する。もっと実験をするようにアドバイスを受ける。この頃から絵画史、構成、構図、色彩、に関する研究を独学で始める。                          

1988年 昭和63年 33歳

岩中徳次郎の著した「画面構成」(岩崎美術社)に出会い、いたく感動する。

1989年 平成元年 34歳

水彩協会展に於て「会員努力賞」を受賞する。

三重県美術展に出品し入選する。(以降3年連続入選する。その後不出品)

1990年 平成2年 35歳

水彩連盟展に於て「みづゑ賞」を受賞する。

四日市市美術展覧会に於て「岡田文化財団賞」を受賞する。

1991年 平成3年 36歳

水彩連盟の準会員に推挙される。

四日市市美術展覧会に於て「文化振興会賞」を受賞する。

文化振興会賞受賞作品が「文化展望四日市」第10号の表紙絵に採用される。

水彩協会展に於て「愛知県知事賞」を受賞する。

ギャラリー「彩」にて開催の水彩協会受賞者展に出品する。

1992年 平成4年 37歳

水彩協会展に於て「会員努力賞」を受賞する。

第1回「水彩研修会展」を四日市市文化会館にて開催する。(以降毎年)

四日市市美術展覧会に於て「四日市市教育委員会賞」を受賞する。

あわらグランドホテルカラオケ大会に於て「優秀賞」を受賞する。(みんなのうた by サザン) 

1993年 平成5年 38歳

水彩連盟展に於て「新人特別賞」を受賞する。

水彩協会展に於て「名古屋市教育委員会賞」を受賞する。

水彩協会の委員に推挙される。

四日市市美術展覧会に於て「奨励賞」を受賞する。(以降不出品)    

1994年 平成6年 39歳

水彩協会展審査員(以降毎年)

水彩連盟展に於て「準会員佳作賞」を受賞し、水彩連盟の会員に推挙される。

水彩連盟より安井賞展出品の推薦を受け、安井賞展に出品するが選に洩れる。

国民文化祭に出品し「秀作賞」を受賞する。

1995年 平成7年 40歳

6月、アップルコンピュータ社のマッキントッシュLC630を導入し、コンピュータに依るエスキスを開始する。同時にコンピュータグラフィックスを独学で始める。

1996年 平成8年 41歳

CGに依る年賀状デザインコンテストで「特別賞」を受賞する。(主催、グッドウイル社)

第55回記念水彩連盟展に於て「特別選抜作家」として100号の大作2点「HIMUKA 96-1・2」を発表する。

7月、葵画廊(四日市市)にて初めての個展を開催し、アクリル画21点を発表する。

9月、水彩連盟三重支部長に就任する。

10月、名古屋市内のマンション(ソシアルセイワ名駅北)のエントランスホールに100号の大作「HIMUKA 96-1」 の採用が決定し、壁面を飾る。

パワーPC640e搭載のパワーマッキントシュ8500/132を導入し、本格的にコンピュータグラフィックスを開始する。(後180MHzにアップグレード、メモリー208MBに増設。その後CPUをG3に更新、メモリー336MB)

1997年 平成9年 42歳

1月、第4回水彩展OHARAに出品し「奨励賞」を受賞する。

3月、水彩連盟展に於て「特別選抜作家」として100号の大作2点「HIMUKA 97-1・2 」を発表する。

3月3日、シェルティーの仔犬(オス)を長女が友人より貰い受ける。「リョウ」と命名する。

4月、水彩連盟会員の安達智行、小沢ハジメ、小室幸雄と「現泗会」を結成する。

6月、水彩連盟三重支部展を約10年ぶりに開催する。(四日市市内、アートギャラリー白楊)

7月、第1回「現泗会展」をギャラリー沙和(名古屋市)にて開催し、アクリル画11点とコンピュータグラフィックス9点を発表する。

8月、三重県洋画協会設立に参加。

12月、ギャラリー沙和97展に出品する。

1998年 平成10年 43歳

1月、第1回三重県洋画協会展に出品する。

6月、ギャラリー沙和(名古屋市)にて「美の方程式を求めて」をタイトルに個展を開催し、SM〜100号のアクリル画33点を発表する。

12月、第5回チャリティー0号展出品(ギャラリー「衆」名古屋) 

1999年 平成11年 44歳

4月、三重県洋画協会を脱退する。(活動の場を広げ過ぎた為)

6月、岡田文化財団20周年記念パーティーに招待され出席する。洋画家石垣定哉、上田保隆、松本善造、ピアニスト金子登美子等と同席する。

7月、第2回「現泗会展」をギャラリー沙和(名古屋市)にて開催し、作品タイトルを「illusion in each season」とした4部作をメイン壁面に発表し、その他小品2点をショーウインドに展示する。

8月、'99中部総合美術展(名古屋タイムズ社主催)に「illusion in summer」を発表する。

ギャラリー名芳洞オープン企画展に招待出品する。

10月、12色環が12半音階に符合することを発見する。絵画と音楽、異なったジャンルの芸術に於ける表裏、共通の理念等の考察、研究を始める。

12月、第6回チャリティー0号展出品(ギャラリー 「衆」 名古屋)

2000年 平成12年 45歳

1月、ギャラリーぬ利彦(東京 京橋)にて「美の旋律」をサブタイトルに個展を開催し、SM〜10号のアクリル画23点を発表する。

2月、第1回「M21展」入選。(東京 銀座 メディア21ギャラリー)

5月、インターネットデビュー。ホームページ「アートスペース”N”」を開設する。絵画作品、CG作品、絵画と音楽のコラム等を掲載。

10月、画廊喫茶パラス(三重県桑名市)にて個展を開催する。0号〜30号の作品を36点を展示する。

12月、第7回チャリティー0号展出品(ギャラリー 「衆」 名古屋)

2001年 平成13年 46歳

6月、画廊喫茶「醍醐」(四日市市)にて個展を開催する。

7月、第3回「現泗会展」をギャラリー名芳洞(名古屋市)にて開催し、作品タイトルを「water in ・・」とし7点を発表する。

11月、ギャラリー「森牧場」(半田市)にて父・巽の写真、子・孝志の絵画による父子二人展を開催する。

2002年 平成14年 47歳

8月、愛知藝術文化センターアートスペース(名古屋市)で開催の日韓作家交流展に出品する。

8月、ギャラリー「聚」企画3人展「海の見える展覧会」に出品する。

12月、第9回チャリティー0号展出品(ギャラリー 「衆」 名古屋)

12月、ギャラリーカフェ&バー「リベルテ」でのグループ展に参加する。

2004年 平成16年 49歳

10月、永眠。